スケジュール

VO1VO2に参加していただいた方!ありがとうございました!!
ご報告:寄せられた支援金VO1 21.761円 VO2 30.071円となりました。Vo1に寄せられた支援金はLOVE FOR NIPPONを通し、VO2に寄せられた支援金は共にイベントを主催したNPO法人日韓アジア基金・日本より東日本大震災民団義捐金へ送ります。支援金の使い道に関しては支援金の預け先のHPより皆様にご報告いたします。 ※準備が整い次第、本HPでリンクいたします。
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VO1 5/1 ラ チッタデ 出演真戸原直人 阿佐亮介 fromアンダーグラフ  アイ • DIDサプライ ズゲスト坂本美雨
VO2 5/2 財団法人アジア学生文化協会文京区 出演:DID 主催:NPO法人日韓アジア基金・日本 KJMUSICPROJECT




2011年6月2日木曜日

武川アイさんからコメントが届きました。

VO1イベント終了後


VO1に参加してくれたディーバ、武川アイさんからイベントの感想をいただきました。以下。

武川アイ
出演者、スタッフ、そして観に来てくれたみんなで、本当に大事に作りあげたイベントだった。
笑顔の中で歌ってると、自分がステージの上だってことを忘れる瞬間が何度かあって、ずっと歌っていたかった。
出演者の人たちも、話しているのが心地いい人ばかり。連絡先もちゃっかり交換。
『つながり』をタイセツにして、絶対続けていきたいと思う、そんなイベントだった。

アイちゃんありがとうございました!また一緒にお願いします。

2011年5月30日月曜日

KJ MUSIC キャラバンVO2

先週の土曜日、文京区の千石にあるアジア文化会館でVO2を行った。DIDがライブをすることができる場所を探している時、HPで私は韓国に深い縁を持つ団体に連絡を取った。その中で唯一即答してくれたのが、今回共同で主催したNPO法人日韓アジア基金・日本だった。初めて電話で話す私の話しに耳を傾けてくれた大澤さんが仲間を説得し、そして会場であるアジア文化会館のみなさんに協力を呼びかけてくれた。このアジア文化会館はアジアの留学生を支援し、留学生の寄宿舎を運営している財団法人だ。当日、宿舎にイベントの開催を告げるアナウンスが流れた。会場は留学生たちの食堂だ。母国の声が聞こえるとやってきた学生、近隣に住む母親と子供・・・いろんな方が集まって小さなコンサートが始まった。DIDの歌にみんなが声を失った。そしてアンコール。「ふるさと」を歌った。前日、アンダーグラフの真戸原さんが彼らに教えた日本のメロディー。コンサート終了後、アジア文化会館に住み被災地でボランティア活動をしていたホさんとMCのアッキーを交えてのトーク。DIDへの質問や参加している人々の今を映し出す話が続いた。帰国する飛行機に乗り遅れそうになるほどギリギリまでDIDはその地にいた。お客さん、スタッフ、DIDが座るその椅子は長い間アジアの留学生達が座ってきた椅子だ。少しくたびれたその椅子が多くの温もりを支える。さよならの改札でDIDは手を降って電車に乗り込んで行った。「また日本で会いましょ。」 内田

2011年5月26日木曜日

VO1

DIDのサンドアートを前にトーク
(右から神田亜紀/武川アイ/阿佐亮介 真戸原直人(アンダーグラフ)/DID)
5月19日、川崎LA CITTADELLA。快晴。何度も諦めかけたVO1の開催日。武川アイさん、アンダーグラフの阿佐亮介さん真戸原直人さん、坂本美雨さん、MCの神田亜紀さん、そして韓国から来たDIDがステージに上がった。夕方5時。太陽の日差しが注ぐ中で行われた武川アイさんのライブから夜色が濃くなるDIDのライブまで、集まってくださった方々の拍手が止むことはなかった。2時間弱のKJ MUSICキャラバン。震災にあった日本で自分たちの歌を届けたいいたい!という韓国のアーティストDIDの声からこのチャリティプロジャクトを立ち上げてこの1か月ちょっと、私は何度も諦めそうになった。このイベントに賛同してくれて無料で会場を提供してくれるところなんてどうやって探せばいいんだ?!スタッフはどうする?!出演者は?!!迷いもあった。東京でイベントを開く時間があれば仙台や福島に行くべきではないか?!でもDIDの気持ちを届けることで生まれることが必ずあるという言葉にならない思いが消えることはなかった。19日が近づくにつれ日に日に多くの仲間たち声をあげてくれた。いろんなことを教えてくれた。会ったこともない人が友人を介して力を貸してくれるという。仕事をキャンセルして参加してくれるという人もいた。そしてこの日、みんなでKJ MUSIC キャラバンVo1を作ることができた。

東京にいる私には、被災地である東北の方々の想いをすべて理解することなどできない。どんなに想像しても想像し尽くせないほどの不安と怒りと悲しみがあるということだけが私の目の前の事実だ。

まだ韓流という言葉すらなかった時代、どんなにその良さを訴えても韓国の音楽を聞こうとする人はいなかった。日韓ワールドカップの時さえもそれは変わらなかった。でも冬ソナブームから始まった韓流ブームが日本人の心を変えた。そして日本と韓国は、歴史や政治の問題を抱えながらも互いの理解を深め、日本人は韓国を好きになり、そしてもっと知りたいという心を生んだ。抱えているものも、深刻さも違う、今私と違うところにいる人たちと手をつなぐことができる方法、そのヒントが日本と韓国の関係にあると思う。そして音楽がその力となるものであることを私は信じている。

Vo1ができたことは奇跡に近い。その奇跡を作ったのは音楽と参加したみんなの気持ちだ。そしてここから何かが生まれたことをたぶん参加したみんなが感じたのだと思う。この何かを東京から少しずつ少しずつ被災地に向かって近づけていければと思っている。”つながる””気持ち”そんなことは聞こえのよい自己満足だという人もいるかもしれない。でも私はあの場で確かに感じたことを信じる。

暑い中夜遅くまで一緒にイベントを作った仲間たち、そしてイベントには参加していないけど
いろんな協力をしてくれた方々、そして最高の場所を提供していただいたチッタエンタテイメントのみなさん、まっすぐ空に上るような歌声を届けてくれた武川アイさん、過密スケジュールの中1曲を歌うためだけに参加してくれた坂本美雨さん、そして相変わらす最高の音とリズムを刻む阿佐亮介さん、演奏だけでなくこのイベントをはじめから支えてくれた真戸原直人さん、あなたがいなければこのイベントはできませんでした。そしてMCだけでなく運営の真ん中をしっかり支えてくれたアッキー、ホント、リスペクです。そしてそしてDID、일본에 와 주어 정말로 고마워요. DID의 기분이 모두를 한데 합쳤습니다.みなさんコマスムニダ。ありがとう。

誰一人欠けてもできないイベントでした。  内田

2011年5月2日月曜日

KJ MUSIC キャラバンのはじまり

KJ MUSIC キャラバンの始まり 

「被災した方々のために歌いたいと言っているアーティストがいる」
そんなソウルからの電話を受け取ったのは震災から1週間経った時だった。
「自分たちのお金で今すぐ飛行機を予約すると言っている」
電話の向こうにいるのは、韓国の音楽プロデューサー。彼女はその時点ですでにソウルで震災イベントを企画していた。日本の音楽業界で働く私は「何やってんだ自分は・・・」という気持ちになった。そこからスタートしたのが”KJ MUSIC キャラバン”だ。日本と韓国が一つの音楽シーンを作ることを夢見て、韓国の人達の声と音楽を番組にしてきたKJ MUSIC PROJECTが被災地の方々にほんの少しでも協力できればと思い立ち上げた、チャリティ企画。仲間に声をかけた。何も聞かず即OKをくれたアンダーグラフ、武川アイさん、そしてイベントの制作を手伝ってくれる仲間たち。プロジェクトの立ち上げを報告する電話をかけた。
「今イベントをやらせてくれる場所を探している」
HPを見て片っ端から電話をし、仲間に声をかけ、信頼する仕事仲間がいろんな所を紹介してくれたり・・・。そして私は電話やメールでDIDの気持ちを伝えた。
「彼らの気持ちを無駄にしたくないんです」
「やろうよ!!」
DIDの気持ちが通っていく。会ったこともない私の言葉に頷いてくれた。
チッタエンタテイメントのWさん、NPO法人日韓アジア基金・日本のOさん・・・
そして5月。DIDがチャリティーイベントのために来日することが決まった。共演者は音楽が国境を越えるということを体感しているアンダーグラフと武川アイさん。躊躇なく届いたOKに私は励まされた。


日本と韓国が哀しい歴史や国境を越えて”隣人”となったのはエンタテイメントの力だ。
その力は人の心までもを変えた。その変化を私は番組を通し追ってきた。エンタテイメントは私達の心を結ぶ。私はまた日本と韓国との間に通い合う心にハッとさせられた。

KJ MUSIC キャラバン、手作りで作り運営するチャリティイベントですが、韓国の文化を愛する方々をはじめ、多くの方に参加していただけることを願っています。
そしてこのチャリティーのために尽力してくれているKさん、Fさん、Yさん、ユーズミュージックのTさん、Tちゃん、Nさん、Sさん、そしてCandle JUNさん・・・・日増しに増える仲間たちに感謝。    内田嘉